大分で会いましょう。vol.1 Review
  • 保井崇志(写真家)
  • 前田エマ(モデル)
2018年7月4日(水) / 
山田別荘(別府市)
保井崇志(写真家) instagramがきっかけでフリーランスフォトグラファーに。企業やアーティストの撮影など新しいフォトグラファー像として活躍中。
前田エマ(モデル) オーストリア ウィーン芸術アカデミーに留学経験を持ち、在学中からモデル、エッセイ、写真など、多彩な活動を続けている。
 ハードとソフト、という物事の分け方があるが、その区別は実に柔らかいものではないかと思う。例えば旅でいうと、移動がソフトで目的地がハード、ということになるだろうか。
 でもときに、いやしばしば人は移動自体がしたくて旅に出る。

 私は、ある場所に強烈に惹きつけられ、そこに行きたいというよりも、「どこでもいいから旅に出たい」、そう思うことのほうが多い気がする。それからどうせなら行きたいところ、やりたいこと、と思考が続く。
 その場合は目的地はつねに互換性があるソフトになり、移動自体が互換性のない行為、ハードなのだと言えるかもしれない。
  • はー、なんだか人生に疲れた、
    どこかにいきたいなぁ
  • 温泉でも入ろう、別府がいいかな、
    竹田のラムネ温泉に久しぶりに入りたいな
  • 最近県外にいってないな、
    どこかもっと遠くに、九州を飛び出そう
  • それならLCCもあるし、
    どうせなら海外にいこうかな
  • でも今回は2泊しかできないし、
    海外はもっとゆっくり、
    思い切って行きたいな
  • その時のためにお金を貯めたいから、
    やっぱり今回は近くて面白い別府にしよう
  • それなら温泉の前にSPICAさんによって、
    友永のパンを食べて、
    あ、ジェノバのアイスもはずせないな
 そういう風にシミュレーションしてみると、旅だけではなくて、人間のやることは何もかも、段階によってくるくるとハードとソフトが入れ替わり続けていることに気付く。
 写真など、クリエイティブなことも例外ではない。

 ある対象を写真にしたいから撮るのか、それともなにかいい写真を撮りたいから撮るのか、線引きは難しい。前者で始まっても、2枚目は後者になっている、ということも多々あると思う。
 あや取りみたいに支点が変わりながら全体としての美しさ、つまりぎりぎりの論理のテンションを保っていて、目的があるようでないような、遊びとなっていく、というのが人間の本質ではないだろうか。
さて前置きが長くなったが、私が言いたかったのは、
今回のゲストのおふたり、フォトグラファー保井崇志さんも、モデル・エッセイスト前田エマさんも、
実にこのあや取りの名手である、ということが言いたいのだと思う。
 保井さんはフォトグラファーでありながら、明晰に時代を読むマーケッターでもある。インスタグラムという現代のツールを機に、世界に名を馳せることに成功し、稀代のインフルエンサーとなった。お話を伺うに、海外の人たちにある「日本という未知の国を知りたい」、というニーズを精確に嗅ぎ取り、彼らの先入観を壊さずに、少し新しい視点で自分にとって身近な日本を見てもらうことを、ある程度、狙いに入って、写真を撮っているようだ。
 もちろん、僕が言いたいあやとり名人、というのはこのことだけではない。

 保井さんのハードは、SNSという「発信後、即、世界」というツールを使いこなし、ニーズを精密に察知する「保井さん自身」にある。ソフトは今のところ、「カメラと写真」なのだ。つまり保井さんは、本人も言っていることだが、ずっと「カメラと写真」を撮るために活動するという意思を持ってはいない。今、世界に発信できる自分に可能なもの、それが彼にとって「カメラと写真」ということなのだ。
 前田エマさんは、見事な文章を書く、ファッションモデルである。ファッションモデルであるが、ちょっと只者ではない。
 話してみると柔らかく礼儀正しく、頭脳明晰なのは疑う余地がなく羨ましいぐらいだが、何より素敵なのは、見られるだけのモデルではなく、新しい社会規範を模索して発見、発信しようという強さ、自分だけが歩ける道を、まっすぐに進もうとする素直さと覚悟が溢れ出ている人間性だろう。
 彼女もまた「モデル」であり続けるために「自分」がいるのではなく、「自分」であり続けるために今「モデル」であることを必要としている、そういう人だ。
 今まで、「写真」というのは明らかに「道」であった。知識とスキル、経験値の蓄積、それらを全投入して作品を発表するだけではなく、業界の人間関係、師弟関係も重要で、写真家の誰に憧れ、どのような哲学を語れるか。そういう世界だったし、今もそうだ。
 「モデル」というある種の芸能活動も、似たところが多い。
 これら通過儀礼の工程によって、自ずと鍛錬を要求され、基礎ができる。だが明らかに欠点もある。「道」というのは言ってみればひとつのカルトであるから、段々と志向が内向していき、権威主義に陥り、排他的になる。本来、究極の自由であるべき芸術活動のほとんど全てのジャンルが持つ、代表的な矛盾構造だろう。

 その矛盾を自覚し抗った芸術運動は枚挙に暇がない。アヴァンギャルドや抽象芸術、ダダイズム、民藝運動。だがこれらのカウンターカルチャーもまた同じように巨匠を生み、派閥を作り、教科書に載るようになったのはご存知の通りだ。
 SNSはこのような円環運動の明らかに外側にいる。それが保井崇志という今はフォトグラファー、未来の何者かの、無限のフィールドだ。

 前田エマという今はモデルの女性はきっともうすぐミステリーハンターになり、次は棋士になるかもしれない。

 まことしやかに囁かれる「作品」や「業界」というものの欺瞞性に対する柔らかく楽しい挑戦。それはどこで生きるのであれ、誰もがいちど自分の戦いとして想像してみるべきなのかもしれない。
 絶対に代わりの効かない自分自身、という当たり前のことを、絶対に忘れないように。

岩尾晋作
(カモシカ書店店主、「大分で会いましょう。」コーディネーター)