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ぼくたちはどこで生きるか

岩尾晋作(カモシカ書店店主、「大分で会いましょう。」コーディネーター)

「地方」という言葉は一体いつからあるのだろうか。

 

ぼくは、「地方」は政治の言葉であって、ぼくらの言葉ではないと思う。

もっと言うと、地理のような体系立った学問の言葉では到底なく、スラングに近い、ある期間に一時的にしか存在しない言葉なのではないかと思える。

 

唐突だが、今から世界中を駆け回れると想像してみよう。どんな言葉が浮かんでくるだろうか?

ぼくだったら、「気候」、「海」、「山脈」、「大陸」、「砂漠」、「秘境」、「宗教」、「民族衣装」、「文明」、「食文化」、「港町」、「空中都市」、そんなわくわくする単語たちだ。そしてこういう言葉は地理や学問、あるいは芸術の対象となる言葉だろう。

 

地球を股に架けた大きな視野では、つまり自分を日常から解き放ち、自由に想像力を働かせるとき、「地方」なんていちいち考えない。「首都」という言葉も、ある国家が勝手に定めたひとつの自分の都市を指す政治の言葉で、世界を旅する旅人にとっては「首都」なんて、せいぜい装備を整えたり、両替をしたり、次の目的地への情報を集めたりという利便性を感じる付属物にすぎない。

「首都」だからという理由だけで、旅情を掻き立てられたり、研究したくなったり、絵や写真や小説に表現してみたいとは、絶対に思わないはずだ。

 

「首都」にせよ「地方」にせよ、呼ばれる当事者とは関係ないところや事情で決められた呼称は、総じてレッテルであり、レッテルは誰かが自分について語る表現ではなく、誰かが他人を識別するために用いられる記号である。そこでは個別の事情よりも括りやすい共通項目が優先される。そして人間は弱いもので、自分に優位なレッテルを貼られると、そのレッテルの正当性よりもレッテルによる優越感に関心を高め始め、挙句はその価値観をより助長しようとする。

 

断言してもいいが、東京に住む人間の大多数は、そのような他律的なアイデンティティに安心している。そして私もかつて、そのような人間の一人だった。残念ながらその油断は、世界の美しさを見るために必要な人間性の、実に多くのものを、眠らせてしまうだろう。

 

日本にも、外国にも、流刑や島流しという刑罰の風習はあった。また科挙に代表される立身出世のための中央志向や、逆に権力維持のために他の権力を周辺に撒き散らせる参勤交代のような制度には明らかに今でいう「地方」という価値観は見られる。

しかし歴史はいつも、権力とそのごく周辺しか描けない。

現在、史料に残っていないからという理由で、語られなかった人間の物語を想像できないのだとしたら、芸術も学問もいったい何のためにあるのだろう。

 

ぼくには「地方」という言葉が少し煩わしい。「地方」と言われるとき、あるイメージを押し付けられたり、よく言うと期待されたりしているのはわかる。

そのイメージを、加えてそれに無自覚に頼っている人間の迂闊さを、逆手にとって、うまく事を運べると言う人がいるのもわかる。

「地方」であることで、「地方」ではないところより不利な条件や、未熟な環境があることもわかる。

でもぼくはそういうときいつも、自分のことが語られているとは思えない。きっとみんなそうなのではないだろうか。

 

歴史に残りたいとは思わない。足元の草花の可憐さを忘れてしまうぐらいなら。

中心にいたいとも思わない。誰かの基準で他所と比べたり、他者を貶めてしまうぐらいなら。

 

旅をしたい場所はいつも、そこに風土があるところだ。風土とは、「今、そこにしかない」という土地の持つ気迫なのだ。

こんなとこには行きたくない。そんな場所はただひとつ。風土がないところだ。

ぼくは「だらだらと、どこにでもあるもの」を糾弾するだろう。大分でも京都でも東京でもバンコクでもティルチラパッリでもパリでもニューヨークでも、どこであっても。

 

結局のところ、場所はどうでもいいのだ。

大分が楽しいのは望ましいことだ。しかし当たり前だが大分が楽しいからと言って大分に暮らす全ての人が楽しくて幸せになるということではない。

35年ほど生きて確信するのは、人は幸福から多くは学ばないということ。むしろ学びとは傷によって起動する装置のように思える。

 

どこであろうと、なんであろうと、日々を繰り返し生きている、それだけで人はこの上なく尊く美しい。

その繊細で強靭な営みだけが、きっと風土となっていくのだろう。

 

そんなぼくだけの歌を探して、明日も頑張ります。