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僕らの海の青み

岩尾晋作(カモシカ書店店主、「大分で会いましょう。」コーディネーター)

 カモシカにいるとたまに、こう言われます。

 「本、寄付しようか?」と。

 特別な理由がない限り、僕はお断りします。

 「取り扱い可能な本は、必ず買取いたしております」と。

 

 提案が善意によるものである、という前提はもちろん理解しています。そして善意を我々に向けてくださることには感謝いたします。ただ、このように申し出てくださる方には共通して、善意と同時に本屋への無関心さも受け取ってしまいます。

 寄付を申し出てくださる方は必ずと言っていいほど、寄付しようとしている本について詳しく語ることが出来ません。「古い本、いらない本がたくさん」というように、どのような本がどのくらいあるかの情報が欠落した情報ばかりです。もちろん一般的に「詳述できないものを寄付してはいけない」ということはありません。色んな状況があると思います。

 でも何の本かわからずにカモシカにあげようとしているということは、カモシカの棚の本を見ていないか、少なくとも相手の都合を考えることができていないということでしょう。このような方は、「いい本からどんどん売れて在庫が回転していっている、そういう棚をどうやって作り、どのように維持していくか」ということを全く想像できないのかもしれないな、と思います。

 他人のお店のことをそんなに気にするはずもない、とも思うのですが、もう一つ寄付を提案する方に共通していることがあります。それは若者はひとりもいないということです。

 

 若者は必ず、「買取してほしい」と言ってきてくれます。そしてときに驚くほどいい本を持ってきてくれて、僕はなるべくご満足いただける価格を提示します。買取で喜んで頂けると本当に嬉しい。売ってくださった方に対しても、本に対しても、古本屋としての仕事の充実を感じる瞬間です。

 (それが偶然いい本ばかりであったとしても)何の本か自分でわかっていない本の寄付の提案より、我々が対価を払ってもカモシカの棚にあってほしい本を売ってくれようとする提案のほうが、比べようもなく、お店への気持ちや善意を感じます。その繋がりのようなものは言葉にできないけど、「理解してくれている、応援してくれている」と感じます。

 

 では、買取を提案する若者といきなり寄付しようとする方の、この違いはなんなのでしょう。若者はお金がない、とか単に僕と世代が近いほうが本の好みが合いやすい、という構造的な理由もあるのかもしれません。それが全くないとは思いません。でも僕はもっと本質的な違いがそこにはあるように思えて、ある仮説を持っています。

 それは「仕事のクオリティを感じる心」という問題です。

 

 現在の日本は経済的に縮小傾向にあり、要するに「景気が悪い」という状況。僕は「景気が悪い」と聞くと、何と比べて悪いのかと思います。景気は、客観的に数値化できることですから、明確に「高度経済成長期からバブル期(=黄金期)の間と比べて著しく悪い」というニュアンスをいつも感じます。

 黄金期のような成長経済の中でカモシカ書店をやっていたら、毎日が全然違うだろうと思います。本も今の倍、売れていた時代、みんなの財布のひもが緩く、時代の雰囲気も前向きで希望に満ちている、そんな時代の中でのカモシカ書店。僕は経営者としても、書店員としても、これに全く魅力を感じません。バブル期を羨ましく思ったことは一度もない。

 仕事がたくさんあり、お金もたくさん回っていて、金利が高いから預金するだけでお金が増えて、当たり前のように売上は右肩上がり。そうだったら人間は、自分の仕事に打ち込んでいくのは難しいように思います。

 

 次の「大分で会いましょう」ミーティングツアーは由布院です。今や年間350万人以上もの観光客を惹きつける日本を代表する温泉地ですが、そんな由布院もバブル期は今の2割ほどの観光客しか来なかったそうです。そして当時の日本の景気とともに栄華を極めつつあった別府を尻目に「別府様には及びもつかぬ せめてなりたや天ヶ瀬に」というような自虐的な歌もあったそうです。(由布院ものがたり 溝口薫平 中公文庫 より)

 そうした状況の中で、強い危機感を持ち、ヨーロッパの温泉地に視察に行き、自分たちの資源をもう一度見つめなおし、当時主流であった賑やかさや絢爛さとは違う、静かな温泉地という方向性を見定め、少しずつブランド力を高めていった由布院の存在は僕たちの道しるべのように感じます。

 

 何かに真剣に打ち込むことほど、何かに真剣に打ち込んでいる人への想像力を育てることはありません。「我に七難八苦を与えたまえ」というような道徳や美意識の問題以前に、これは「変化は努力に比例する」というシンプルな原則なのだと思います。僕らはどこにいて何をしていても、その仕事の全国的なレベルを理解しながら向上していかないと、縮小経済の中で次の仕事がなくなるかもしれないという前提を、受け入れています。そして新しいことが生まれています。

 

 新しいことに必ずしも価値があるわけではないのですが、感じること、考え抜くことは必ず自分と現状を変えていくときに必要なものです。現状の縮小傾向の日本は、そういう想像力がスポイルされる時代ではなさそうであることは大きな希望だと僕は思います。黄金期よりはずっと内的で、普遍性のある希望です。

 昔話や伝説などで、人里離れたところに住む仙人みたいな人が、人並外れた知恵者や人格者だったりすることが多いのは、僕たちは本能的に逆境が内的に人を成長させることを知っているからです。

 

 激化した競争社会はサメと獲物が入り乱れる血みどろの赤い海に例えられますが、そこでは残り物やおこぼれを頂戴するだけならストレスは多そうだけど食べることはイージーであるとも考えられます。

 大分に暮らし、生きていくということ。これは僕たちの静かな青い海です。人間である以上、いつの時代も同じ欲望があるのだから、誰も空腹から自由にはなれません。

 でもどうやって食べて、それでどこに向かうのか、誰も先導してはくれません。僕たちはどうやって僕たち自身の真珠を掴み取れるのか。広く静寂の海に可能性を見出せるのか。そもそも真珠とは何なのか、その真珠を、世界中の人が見たいと思うだろうか。

 真の贅沢とは、そういう想像力の向こう側にある。由布院が魅力的なのは、そのことを自然と思い出させてくれるからではないでしょうか。

 僕たち大分の全ての人が大きな夢を描いて生きていけるようなムーブメントが起きる。そんなことを目ざして仕事をしていたい。

 「大分で会いましょう。」チームと明日も頑張ります。

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