OITA WINDOW 大分の窓

 
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温泉は僕らの手の中

岩尾晋作(カモシカ書店店主、「大分で会いましょう。」コーディネーター)

 雲を見ているのがたまらなく好きという人は結構いて、雲専門の写真家もいるらしい。僕は煙を見ているのが好きだ。煙を見るためにたばこを吸うこともあるぐらい。ゆっくりとうねりながら形を変えていく様を見ると煙の実態とは何なのかと不思議に思う。立ち昇り、エントロピーが増大していき、やがて見えなくなっていく。煙が消えていくというよりは、消えてしまうものを煙というのではないかとさえ思う。すぐに(数秒で)消えるというところがいい。炎を見ると安心するというのは人間の本能という話もあるが、きっと煙も同じようなものだろう。

 湯煙というものがあるが、当たり前だがあれは正確には湯気である。だが湯気も煙も雲も花火も、同じだと思う。僕はそれらを全部見あげながら、消えることを確認する。消えてしまわない雲や煙や花火を想像すると何か天変地異みたいなものが起きているようで怖い。その感覚は、消えていくものに安心を覚える根拠なのかもしれない。

 そして見上げながら消えていくもの。それは大袈裟に言うと命のメタファーだ。

 

 

 

 大分に戻ってきて6年が経とうとしている。そして最近定期的に温泉に行く習慣ができてしまった。別府市はそこら中に天然温泉の共同浴場があってそのほとんどがわずか100円で入れることは有名だが、大分県は県を挙げて「おんせん県」と謳っているだけあって僕の住んでいる大分市にも都市部でありながら数多くの温泉がある。

 歓楽街の都町のはずれやJR大分駅の駅ビルの中、さらに駅周辺にも温泉はあるので僕が仕事を終えてカモシカから歩いて行ける範囲でもいくつも選択の余地がある。車に15分も乗ると温浴施設の数はそれこそ枚挙に暇がないほどだ。これは、他の都市では考えられないことで、どう考えてもすごいことである。

 

 東京の西荻に住んでいたころ、家の目の前に銭湯があった。そこは450円ぐらいで、週替わりの薬湯と、なんと小さいながらも立派な露天風呂を備えていて、雪の降るような寒い夜には千円札を握りしめてよく通ったものだ(お釣りで缶ビールを飲むのだ)。西荻は銭湯の多い街で、やはり徒歩圏内に少なくとも3つは銭湯があった。

 ある日気づいたのだが、いわゆる銭湯というところでは、湯船を満たす液体は水道水を沸かしたものにすぎず、温泉ではないということだ。僕は温泉に特別な愛着やこだわりは持っていないつもりだったのだが、なんだかお金を払ってお風呂に入りに行って家のお風呂と大して変わらない液体に身体を浸すというのは違和感があった。ある東京人にこの話をしたら「ラーメン屋に行ってカップラーメンが出てくるような感覚かな」と言っていた。

 もちろん銭湯には何の罪もない。僕が通っていたところは番台さんが優しくて、清潔で、空が見えて、とても快適なところだった。だけど僕にとっては、恐らく大分県民にとっては、ラーメンの例えの通りだと思う。単に文化の違いである。

 

 OPAM新見館長のよく言う言葉に「文化というのは、誰にでも毎日のように必要とされて、どこにでもあって、しかも一つひとつが全部違うもののことなんだ。つまり銭湯と豆腐屋だ」という言葉がある。僕はこの言葉を信じる者で、その意味で間違いなく温泉は起源が分からないほどの長い年月を経て根付いた大分の文化である。その文化が、僕をして東京の銭湯に通いながら浴槽の中はただのお湯であることに違和感を持たせしめたのだ。違和感を持ったときに初めて、もともとは意識することができないほど自分の中に溶け込んでいた価値観が浮き彫りにされる。そういう「もともとは意識することができなかったもの」こそ、文化だったのだと気づくのだ。

 

 「おんせん県」と自分でいうほどなのだから温泉が対外的にアピールできる資源であることを僕が今さら言うまでもないが、新見館長の「銭湯と豆腐屋」という言葉は全く違う切り口を持って改めて語ることもできる。「銭湯」も「豆腐屋」も、前述のように毎日誰にでも必要とされていると言える日々は過去のものであるということだ。

 銭湯は1985年に14000件近く存在していたが、2018年に4000件を割り込んでいると厚生労働省の統計にある。また豆腐屋は1943年に48000件近くあったが2013年には8000件ほどに減少していることが全国豆腐連合会のホームページからわかる。(ちなみに本屋はこの20年で10000件減って、2017年の統計では12000件である。銭湯も豆腐屋も、絶滅危惧種と危ぶまれる本屋よりもさらに少ないのだ)

 「銭湯」と「豆腐屋」は本ブログの文化の定義から年々離れていっているのかもしれない。(当然本屋もその恐れがある)

 

 さて僕らの温泉はどのような状況だろう? 僕が知りたいのは別府の共同浴場の数の推移や、観光用の温泉旅館の衰退と隆盛、といった客観的な話ではなく、これを読んでくれているあなたは、今日か明日、どこの温泉に行くのですか? そしてそこでどんなため息をつくのでしょうか? という話に近い。

 

 突然だが「縦の視点」と「横の視点」、という風にものの見方を分けてみるとする。縦が地図だとすると、横は景色。縦が歴史だとすると横は瞬間。縦が計画だとすると横は成り行き。縦は積み重ねるもの、横は流れ去るもの。縦は誰かに説明するためのもので言葉や記号や図になりやすく保存しやすい。横は基本的にそれを認識している主体だけのものだから何にも変換しがたく消え去りやすい。縦は文明で横は文化だとも言える。

 

 おんせん県、観光資源、成功例。そういう縦軸で語られやすい大分の温泉であるが、それはそもそも温泉がいいものだ、という各々の感覚的なものに依拠して始まっているはずだ。言ってみれば全ての縦軸は、横軸の比喩なのだ。

 

 横軸で語る温泉というのは究極的には官能的なもので、その意味では恋人たちの囁きを暴くことに近いかもしれない。それは「聞かれたくない、恥ずかしい」という意識よりもどちらかというと「どう言えばいいか分からないし、言えたとしても下らないと思われるだろう」という遠慮の意識によって語りにくいのだと思う。だが考えてみてほしい。風景画というのは、ただ眺めるだけでは退屈この上ない。小説だって映画だって字面や物語を追うだけでは最後まで読んだり観たりすることは耐え難いだろう。音楽だってBGMだと思えばムード以外には何の意味もなく通り過ぎていく。だがいくつかの芸術には明らかに心を動かす力がある。それは「この人の横軸は、僕と全く同じ瞬間を体験したかのようだ。この作品は僕が世界のだれよりも理解しているに違いない」という深い共鳴、共振によって、普段は開かない扉が開くからだ。そして、逆説的だが「この作品は自分だけのもの」と感じる人が時代を越えて何万人も生まれて名作となる。

 

 温泉は僕たち大分県民にとって明らかに文化である。しかし「文化であった」という過去の部分もあるのではないだろうか。そしてさらに、「これから文化になりうる」という潜在的可能性のほうが、実はずっと豊かさとして隠れているのではないだろうか。

 

 温泉からすでにいくつも芸術が生まれているし、これからも生まれるだろう。そして、真にそうあるものは、自らをその呼称では呼ばない。温泉は、我々の誇りと財産である、と言うまでもなく尊重するときに初めて、我々は「おんせん県」を突き抜けて、真のおんせん県民となるだろう。それはとても創造的な状態である。

 そのために、さあ、温泉に行こう。筋トレのように、語学を学ぶように。そして温泉を語ろう。温泉に入っているとき、あなたはどんな状態だろうか? いつもと同じだろうか、何か食べたくなるものがあるだろうか。地球のいたずらとしか思えない偶然の産物、流れ出る宝石、温泉。僕は温泉に、湯煙のことを下らなくも語り続けよう。

 

 最後に、本ブログの「縦軸」、「横軸」という考え方、また「温泉」という着想は全てBEPPU PROJECT 代表理事 山出淳也さんの著書 「BEPPU PROJECT」から学んで借りた。県民必読の希望と実践の書である。

 

 それではまた、温泉で会いましょう。

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