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ぼくらが街に出る理由 ♯1「若さがなんだ」

Yusaku Tomitaka(ぼくらが街に出る理由)

 ぼくはいま22歳だが、この数年、何もしていない自分、何者でもない自分が焦りであり、コンプレックスであった。それはいまも大して変わらないのだけど、いまから半年前とは少し状況が変わった。趣味の合う友だちに声をかけ、フリーペーパーの制作と発行をはじめた。僭越ながら、そのフリーペーパーのタイトルは「ぼくらが街に出る理由」という。フリーペーパーというよりは、テイクフリーのZINEと言ったほうが近い気がする。 ZINEとは、雑誌のMAGAZINEが語源で、インディペンデントな発行物のこと。古い言い方をすると、同人誌やミニコミと同義である。

 

 小説家や物書きになりたい、デザインやグラフィック、音楽制作をしたいと思ったことや、映画を撮りたいと思ったことは一度もないのだけど、小さい頃から日記を書くことが好きだったし、作文の授業や課題も苦ではなかった。美術や音楽の時間も好きだった。父が趣味でギターを弾くので、特に、音楽との距離はものすごく近く、ある一時期はサクソフォンに熱中していた。(ギターは何度試してみても三日坊主だったけど。)集団ではリーダー的役割を担うことが多かったし、このフリーペーパーの活動は、ぼくにとても合っている。

 

 フリーペーパーの活動をはじめておおよそ半年が経った。最初は大分駅周辺の5店舗に置かせていただいたものの、印刷した分がなかなかはけず、活動の難しさを痛感した。だが、発行したフリーペーパーは名刺代わりになり、ありがたいことに、多くの人と出会うきっかけとなっていった。そんな中、目上の人と会話する機会も増えてきた。

 

 初対面の目上の人と会話をするとき、必ず年齢を聞かれる。そして、「若いねえ」と返される。(百発百中!)逆にぼくが目上の人に対して、年齢を聞くことはないし、話の流れや人伝に、誰かの年齢を聞いたとして、「老けてますね」「年取ってますね」とはいわない。それは単純にマナーの問題だが、目上の人に対して「若いですね!」という場面はたくさんある。流行りの音楽を好んで聞いていたり、体を鍛えたり、学問に励んでいるだとか、何かに没頭している人に対して。(これは介護の仕事をしている友だちから聞いた話だが、老人ホームでも色恋沙汰があるそうだ)

 

*青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、 熱情は、失えば心はしぼむ。 苦悶や・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。*(サミュエル・ウルマン「青春の詩」より)

 

 22歳のぼくが街へ出て感じることは、多くの人が「10代20代の若者」や「若さ」を求めているということだ。おそらく自分自身が「若返りたい」「若くありたい」という願望を持っているのかもしれないが、つまるところ「街が若くあってほしい」ということなのではないか。しかし、日本は超高齢化社会である。こと、大分県にいたっては、3人に1人が高齢者だというから、街が若くある状態には程遠い気がする。いや、そうだろうか。若さについて、サミュエル・ウルマンの詩にあったように、数値の大小ではなく、人々が持つ理想や情熱のことだと定義するならば、街が若いとは、街に理想や情熱がある状態のことだ。

 

 22歳のぼくがひとりで街をただ歩いてみたところで、そこに若さは発生しない。22歳のぼくと、22歳のぼくの友だちが2人でいても、ファミレスで黙々とスマホの画面をスクロールしながら、ドリンクバーと座席の往復をしているだけでは、そこに若さはない。限界集落だと言われようが、毎朝どこかに集まってラジオ体操するとか、お昼ご飯を食べたら車に乗り合わせてカラオケへ行く67歳や78歳の人たちはずっと若々しいのだ。

 

 街に暮らす人々、それぞれが年齢に関係なく、若くあろうとすれば、街はきっと活き活きしだすだろう。若さとは10代20代だけの問題ではなく、いまこの文章を読んでいるあなた自身の問題なのだ。

 

 たとえば、大分の温泉は、街の銭湯でもホテルでも、どこへ行っても源泉かけ流しであることが売りだが、源泉かけ流しとは、まさに、若いということなのである。

 

 そして、ぼくの身近には、フリーペーパーの活動を後押ししてくださる大人の方がたくさんいる。そこに、若いからといってただ闇雲にいいねされているような印象は受けない。ぼくらの活動の趣旨や方向性をしっかりと汲み取り、一対一の人間として真正面から向き合い、背中を押していただいているなあと強く実感していて、こればかりはほんとうに感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

正直なところ、ぼくは東京が好きだ。それはいろいろ事情もあってのことで、ここでは割愛させていただくが…。だけど、それでもぼくはこの街にいる。本当に死ぬほど嫌なら、いま、ぼくはここに居ないだろう。ここに居るということは、そういうことなのだ。

 

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