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ぼくらが街に出る理由 #2 「HOW DO YOU FEEL?」

Yusaku Tomitaka(ぼくらが街に出る理由)

「故郷」という文字を目にしたり、言葉を耳にしたりしたとき、あなたがいちばん最初に思い浮かべる場所や人、物はなんだろうか。

 

ぼくは大分市で生まれ育った。小学校中学校高校と、いずれも家から10分15分の距離。行くと必ず誰かに会うファストフード店やファミレス。ぼくはいまのところ、人生のほとんどをそれらの場所で過ごしたことになるが、「ここが故郷だ」という意識はあまりない。

 

では、ぼくにとっての故郷はどこかと聞かれたら、父と母が生まれ育った場所だ。それは、ステレオタイプな故郷、つまり、よくある田舎のイメージと、実際に両親が子供時代を過ごした場所がかなり似ているからかもしれない。田舎のイメージ、それは山や海、川、自然があって、そこにポツポツとある民家や、小さな集落、1日に数えるほどしかバスが来ない停留所。日本にそんな場所はごまんとあるだろう。だが、そんな場所へ行けば必ず「ここが故郷だ」という気持ちが芽生えてくるわけではないことは、みなさん分かるはずだ。

 

ふつうは、生まれ育った場所を「故郷」ということが多いが、一時的に住んだり、観光や仕事などで訪れたりした場所に対して「第二の故郷」「心の故郷」といった表現が使われることがある。自分と、ある土地に何らかの関わりが生まれたとき、あるいは、発見したとき。人は「ここが故郷だ」と感じるのではないだろうか。

 

先日、ぼくはその「故郷」へ久しぶりに帰った。行くというとなんだかよそよそしい。帰る、戻るの方がしっくりくる。大分市からは、故郷の町の中心まで車で1時間ちょっと。JRの特急でもおおよそ同じくらいの時間で着く。そこからさらに車で30分ほどいくと、母の生まれ育った場所があり、そこから山を超えて海の方へ向かうと、父の生まれ育った場所がある。どちらも、ぼくにとって大切な場所だ。

 

改めて考えてみると、ぼくは、その「故郷」で過ごした時間は、ものすごく短い。その土地のことも、ほとんど知らない。両親や祖父母、他人から聞かされる話ばかりだ。だけど、「故郷」に身を委ねるとき、時間の流れはおだやかになり、すーっと全身の力が抜け、気持ちが楽になっていくのがわかる。

 

父の生まれ育った場所は、リアス式海岸の入り江の港町だ。家の近くに、海辺に面した小さな神社がある。ぼくは、しばらく空気を入れられた形跡のない自転車に乗り、潮の香りに包まれながら、でこぼこの舗装道路を通って神社に向かうのだ。立秋を過ぎ、少し暑さが和らいできた日の夕暮れ時。ぼくはひとり、一瞬、視界に遠くの水平線を確認した後、目を閉じる。

 

 

「故郷」でぼくがなにかできることはないだろうか? 父が過ごした家は今も残っていて、祖母がひとりで住んでいる。その家のそばに住む父のお兄さんの話によると、高齢化が進み、空き家が増えているという。周辺に住む人の多くは、町の中心まで仕事や買い物に行く。統廃合により近くに学校はない。小さな商店はあるが、すべては揃わない。田舎暮らし、移住というと聞こえは良いが、正直、何も持たない22歳のぼくにはそこに移り住み、日常生活を送っていく自信はない。

だけど、違う場所で日常生活をつづけながら、「故郷」へ帰ってくることはできる。ぼくは「故郷」での記憶や、22歳になって感じる「故郷」のことを写真や文章で表現し、ZINEをつくろうと思っている。前回の投稿で、ぼくがフリーペーパーの制作をしていることを書いた。活動を始めてからますます、いま自分が考えていることや周囲を取り巻く状況について残しておく必要性を強く感じている。やはり人は何か形にしておかなければ忘れてしまう。過去にしがみつくばかりではあまりよくないけれど、時に過去は、悩めるぼくらを未来の世界へ連れていく大きな原動力になるから。

前回は、この街でのぼくの活動を通して思うことを書き、今回はこの街から離れたときに思うことについて書いてみた。今後もぼくらの生活がつづくように、ここでの投稿もつづいていくと思うが、フリーペーパーの活動やZINE制作の途中経過にも触れながら、「大分で会いましょう。」とは、大分で会うとは、大分に居るとはいったい、何なのか。22歳のぼくの視点から伝えていけたらなと思う。

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